本当に大切なものはほんのひと握り

Twitter ばかりしているとまとまった文章が書けなくなってしまって困っています。ときどきは文章の練習という形で考えていることをまとまった形にしていこうと思います。

いつチャレンジするのか

人間、否応無しにステージを上がることを要求されるわけで最近はずっと就活や夏インターンのことを考えています。しかし、そのような変化は往々にして非連続的でなかなか勇気が必要です。そうすると、僕の悪い癖として、「これ完成させたらこの社にいい感じにアピールできるからこれ完成させるまでは夏インターン面談申し込むの待とう」みたいな発想が生まれます。これで一生応募できない。頭では十分このパターンまずいぞ、と思うのですが、どうにも体や心がよく分かっていないみたいです。

しかし、最近割とできると僕が思っていた人でもたくさん数打ってその結果当てているんだということを知って、行きたいと思ったらとりあえず気持ちだけ先行していても、実力が伴わなくても、間に合わせるつもりで申し込むことが大事なんじゃないかと思ってきました。これは僕にとっては難しいことなのですが、とりあえずイベント的なやつは気軽にぽんぽん申し込んでみました。がんばります。

このいつチャレンジするかというのは割と広く解釈できると思っていて、例えばチーム開発で自分がある程度できたら報告しようと思って報告を先延ばしにするより、今全然できてません!助けて!と言っちゃう方がいいとか、研究室の先生に相談しにいくときはまず自分の興味をしっかりさせてから、とりあえずこの本を読み終わったら行こう、ではなくとりあえず本買った状態で最近こんな分野に興味あるッス!そちらの研究室ではこういうことできますか?と聞きに行くとか。要はプライドを捨てて正直に先行していけ、ということなんだろうと思います。

果たして僕は何に時間を費やすべきか?

これ最近の悩みです。たびたび Twitter で叫んでいるのですが、地方の人は東京の長期インターンを狙うべきなのか、学生として個人開発やサークルでの開発を大事にすべきなのか?という話。

これも最近大きく衝撃を受けることがあって、客観的に見てサークルが楽しいと思えなければ、即ち義務感で回しているような状態ならばもうサックリ手を引いちゃっていいのではないかと思いました。サークルというのは、人間がいなければ回すことが難しく、また属人性が強くなってきてしまうと個々人の当事者としての意識が薄れて、誰か一人が義務感で回しがちだと思っていて、今は割と僕が回している状態です。とはいえこのままではよくないなと手を打とうとはしているのですが、そもそもそれが、サークルを続けるための足かせを自分で作りにいっているものだと気づいた時、僕が楽しくなければ別に力を注ぐ必要はなくて、直接的に利益の出る東京の長期インターンに挑戦していった方が、時間の使い方としてはいいんじゃないかなあと感じたのです。

世の中にはたくさん「やったほうがいいこと」があって、でも本当に大切なものはそれらのうちのほんのひと握りです。サークルが大事なのではなく、友人とワイワイする方が大切なら普通に遊べばいいし、個人開発が大切なら普通に一人で開発し続ければよく、形に縛られて義務感や優しさで時間を浪費するのはよくないのかもなという結論に至っています。

最近見た夢

真面目な話をしすぎましたね。最近見た夢の話をします。

僕にとって大事な人(これが家族なのか恋人なのかは分からなかった)が布団で寝たきりのような状態になってしまっていて、どうやら戦乱の世らしく、僕は大事な人のもとに再び帰るために「いつか必ず帰ってくるからね」と言ってドアを開けて外に出ます。しかし僕が遠く離れた地で頑張っているうちに村もろとも焼き払われてしまって、その大事な人が亡くなってしまいます。僕がそれを知った瞬間突然その「いつか必ず帰ってくるからね」のシーンに飛ばされて、僕は泣きながら「ごめん、ごめん…いつか本当に必ず帰ってくる」と言ってまたドアを開けて外に行きます。というところで目が覚めました。

寂しすぎて泣くかと思ったけど起きたらなかなかこのお話僕が好きそうな切ない話だなと思いました。リゼロに影響を受けすぎていませんか?リゼロよかったのでまた感想文書きたいですね。今はアニメに区切りがついたロスから抜け出せてなくて、まともな文章が書けなさそうです。

終わりに

文章って難しいですね。ちょいちょい練習をしていきたいものです。