人生は諦めるほど短くはないと思う

昨日人と会話をしていて、そういやこれまだ言葉にしてなかったなと思ったので書きます。

小学生の時、中学生の時はまだ将来に対する漠然とした不安はなく、毎日ただ生きていました。家に帰って裏山に遊びに行って秘密基地を作っていたり、数学が楽しくなったのでずっと問題集に取り組んでいたり、その時テストなどのやるべきことはあっても、それはすぐ手の届く範囲での将来でした。

高校生の頃からでしょうか、いつからか、手の届かない範囲にも将来はあり、その将来にいつかはたどり着くという事実を知ってからは自分は将来どうなるのだろうということをよく考えるようになりました。当時は漠然と建築士になりたいと感じていたので、建築士になって住む人が笑顔になる家を作ろうという希望の下で本を読んだり受験に向けた勉強を進めていました。しかし一方で、祖父母が亡くなったりと死を身近に感じる出来事もあって、「人生は短く、あっけなく終わってしまうものだ」とも思うようになりました。真夜中にふと目が覚めて、暗い暗い夜を眺めながら、僕が今目を閉じたら無事にまた起きて新しい日がやってくるのだろうか、そんな保証はないな、と思い、恐怖で眠れなくなってしまったこともあります。

大学生から今に至るまで、人生のことをずいぶんと考えました。高校生までは曲がりなりにも人生のレールに乗っていましたから、ふんわりとした将来への期待とぼんやりとした将来への不安だけで済んだのです。大学へ行かなくなり、進級ができなくなり、休学をし、中退をし、就活をしても体調が悪く実力もなく、様々にレールを外れて人並みの生活を送ることがいつの間にか困難になっていました。
 取り返しがつかないことをしてしまったと気づいたときには、もうそれを取り返そうという気力もなくなっていました。将来に対する希望などなく、漠然とした将来への不安と、目先の具体的な不安だけが残りました。

そうして中退してから3年と2カ月が過ぎ、その間別の大学に入学し、療養を経て体調も自分である程度コントロールできるくらいに元気になりました。さらに努力を重ねた結果、もちろん運と環境に恵まれたのもありますが、人生がうまいこと軌道修正していい感じになりつつあります。

大学に行けずに家でぼんやりと不安を抱えていた頃に、「人生は短いし、一度レールを外れたらもうおしまいだから人生を終えてもいいんじゃないだろうか」とずっと考えていました。諦めるという選択肢はその時点の自分にとって最善の手でした。敢えて人生に対してもがいていくことはとてもコスパの悪い、頭の悪い行動だったと思います。
 それでも今こうして振り返って、人生に負けないように頑張っていくことを選んだのであれば、「もしかしたら、一度失敗して何もかもがダメになるほど人生は短くはないのではないか」と言えると思っているのです。

もちろんこれは生存者だからこそ言える言葉です。同じ境遇の友人や知り合いで亡くなってしまった方も幾人かいます。今まさにつらい境遇にある人もいると思います。僕もつらいときはずっと、人生は短いしもう終わりだし取り返せないとずっと感じていました。
 それを踏まえて生存者しか言えない言葉ではあるのですが、それでもやはり実感として「人生は諦めるほど短くない」と思っています。

おそらく、人生が短いと思い、周りと自分を比較して自分が遅れていると感じていても、人生に勝つ道を選択したのであれば、毎日の少しずつの頑張りがいつか人生をなんとかしてくれるんじゃないかなと感じています。生きていればいいことあるは嘘だと思いますが、生き続けることに意味を持つのならいつか拓ける道もあるは本当だと思います。
 それに、周りの人がなんかレールに乗ったまますごい速度で努力を積んでいるかのように感じてしまいますが、本当にすごい層は一握りで、実際はレールに乗っているうちは大して危機感もなくぼんやり過ごしていることの方が多いんじゃないかと思います。レールを外れてから、ものすごい危機感とストレスの下で必死に自分の頭で戦略を練って、自分の足で立つようになってから得たものはなかなか悪くないんじゃないかなと感じます。

これから先もまた人生をやめたくなるようなつらいことがたくさん起こっていくのでしょう。それでも、いや人生って諦めなければ意外と長いから、ということを思い出して、何度でも何度でも気合でできることを増やして努力を重ねていきたいな、と思ったのでした。