中退し、地元の大学に入り直し、この春卒業して社会に出ていく

僕は東大に休学を含め4年間在籍した後中退した。地元の大学に入って4年間勉強し、卒論も無事に終えて学士(情報科学)を取得した。そして、この春から社会人として働く。

これはこの8年間の間に考えてきたことを清算するための文章である。具体的な暮らしに関しては書きたくない気持ちが大きく、思考したことに焦点を当てる。

以前に書いた文章

生きることには覚悟が必要になってしまった

高校から大学に上がる頃は、東京で一旗あげるぞ!に近い気持ちを持っていました。僕には東京の全てが新しく見えて、チャンスが田舎よりも段違いにたくさんあって、望めばいくらでも好奇心を満たせるイベントに参加できました。

それが通学の満員電車のストレスや講義についていけなくなったこと、大学での人間関係から大学に行けなくなり、部屋の隅で座椅子に座って外をぼんやり眺める時間を過ごすようになりました。
雨の日が好きでした。雨の日はなんとなく外も静かで、晴れの日に感じる劣等感がなかったからです。僕だけが外の喧騒から取り残されて一人だけ遅れに遅れている感覚は辛くて、雨の日は外も静かでなんとなく救われました。
当時はIngressというポケモンGoの前身みたいなゲームにハマっていて、夜はゲームで近所を5時間ほど歩き回って完全多重CFを作っていました。明け方にコンビニのペペロンチーノを買ってレンジで温めて、家に帰って食べていました。本当に調子が悪い時は何も食えなくて水すら飲めなくて、ちょっと元気な時は飯の味が感じられないので辛いものかチョコレートしか食べていませんでした。コンビニご飯だとお金がなくなるので、途中から半額のシールが貼られた海苔弁当をスーパーで買うようになりました。味覚が壊れていて、全く味がしなかったのを覚えています。

結局地元に戻ってきてからリハビリとして外食しようと学食で飯を食べていたのですが、外食でまともに美味しいと感じたのは地元の大学の1年生の夏頃だったことを覚えています。それまでは外食自体が苦痛で、ひどい時期は外食で食べた食べ物をすぐに吐いてしまうこともありました。現在ではこれは解決して、外食で二郎系ラーメンを食べても元気なくらいです。

辛い生活の中で、「なんでこんなにつらいんだろう?」という疑問を持ちます。8階に住んでいたのでさっくり自ら人生を絶つことも頭をよぎります。毎日なるべく死んじゃわないように工夫しながら、生き延びているというか、這いつくばっているような生活を送っていたのを思い出します。

精神科で躁うつ病と診断されてからも、やっとヤブ医者でない良い医者と巡り会えて自分に合う薬の組み合わせを色々試して処方を確定させてからも、ずっと辛い気持ちがあります。これは今でもあって、人生を能天気に生きられなくなってしまったんだなと感じます。病気は不可逆で、今の僕には生きるための理由が必要になってしまいました。

ここ最近の自分の思考としては、「今が楽しくて未来に希望を持てるなら生き続けることができる」というところに落ち着きました。常勝していれば勝ち続けられるというものです。そんな持続不可能なこと無理なんですが、人生の勝ち負けは自分で決めることができるのがポイントです。サマーウォーズのおばあちゃんも言うように、「人生に負けないように」という気持ちを持ち続ければ生き続けること自体に意味を見いだせます。

今を楽しくして、未来に希望を持てるように工夫するのは結構コストがかかります。そのコストを引き受けるという覚悟が、僕が思う生き続ける覚悟に相当します。自分の人生を自分の足で歩いていく。もし現実がつらく苦しいものであれば、僕は楽しい方向に行きたいのだからその現実を躊躇いなく破壊する。そういうことを考えています。

なんだか抽象的になってしまったので、やっぱりまだ僕は苦しみの中にいるのかもしれません。具体的なやりたいことは今年の抱負とかに書いたし、抽象的なものには深入りせずに具体に終始することも心がけたいです。

🍎 生きるということは、今を楽しくして未来に希望を持つために払うコストをきっちり支払うという覚悟を維持し続けることに相当する。

今のこの記事自体が、当時の僕が最も嫌ったものだった

中退する時にすっごく嫌いだったのが、「中退」をアイデンティティやネタとして消費して、かつ中退した直後に就職が決まっていたりする人たちでした。だってそれ中退じゃないやん、輝かしい勇退やん!

でも考えてみると今の僕の書いているこの記事はそれなんですよね。この記事はきっと昔の中退間際の僕にとって大嫌いなものになるはずで、それを申し訳なく思います。

でもそんなに世の中の全状態に気を遣うことはできなくて、俺は俺の思いを書くという気持ちで気合いを入れて文章を書いています。

あと、昔の記事の方がいいこと書いてますね。文章にキレが増すのは人生にキレがない時なので、今の僕は人生が楽しいから文章にキレがないのでしょう。文章にキレがなくて人生も最悪になるよりずっといいので、これについては仕方ないと受け入れて満足しています。

とはいえ、これからの人生でも中退をアイデンティティに持つことほど愚かなことはないと思います。僕は地元の大学を卒業できたのだから、ちゃんと「学士(情報科学)」としての覚悟を持って生きていこうと思います。

🍎 中退をネタにするのをやめて、学士(情報科学)や社会人として生きる

この8年間の中で振り返って転機だと感じたイベント

振り返ってみると、「このイベントがなければ俺は今この状態ではないな」というイベントがたくさんあります。それらを思い出して書き残しておきます。

2019年 アセンブリの記事を書いたら、uchanさんに色々指摘を頂いた

よく考えると情報科学系の興味がこの辺から始まっています。この記事を書かなければ、uchanさんに色々指摘を頂かなければ、僕多分低レイヤーとかに興味を持たなかったんじゃないか?
当時はフロントエンド寄りに興味を持っていたので、きっとこの記事がなければ今より興味の幅が狭くなっていたと思います。

2019年 山梨ミニキャンプに参加

これまず選考課題の過程で色々なコードを眺めていて、uint256_tさんのプロダクト(ブラウザや処理系)のソースコードを読み、ブラウザとかの当たり前に存在しているソフトウェアって人が作っているんだ!という感情を持ったのがデカかった。servoのコードを読んだり、かなり後になってv8のコードをビルドして手元でおかしな自作関数を追加したりして遊んだのはここが効いている。
内容的には、Yuka Ikarashiさんの講義でLLVMフロントエンドを触ったことが転機だったと思います。ここから興味が続いて言語処理系の研究がしたかったけど学部にそれっぽいのがなくて結局暗号に行ったのですが、今でも続く処理系への興味はこのあたりから始まりました。

2020年 初めてインターンに行った

YappliのSREチームでインターンをしました

ここで社会に出られるかもしれないという希望が初めて見えました。4週間のインターンの間面倒を見てくださったSREのお二人、特にメンターの はぶちん さんには本当に感謝しています。インターン応募やそれまでにお世話になった方々にも、人事の方にも、マジで感謝しています。
僕はこのインターンに参加してなければ社会に出てなかった世界線もかなりあったと思います。
あとこのインターンで得た給与で電子ピアノを買いました。弾くたびにインターンのことを思い出してウオオ!稼ぐっていいな、強くなって稼ぐぞ、みたいな気持ちになります。

2022年 内定を承諾した

これデカかった。マジで。就職ってできるんだ!という気持ちになった。春からも健康を守りつつ社会人として頑張っていきます。

2023年 大学を卒業した

かなりデカい転機で、中高6年間よりも長い8年間も学部に費やしてやっと学位を得られたことが嬉しかったです。列車は必ず次の駅へ。という気持ちにもなりました。様々な感情に別れを告げて、次のステージでも元気にやるぞと思っています。

2023年 免許を取得した

これもデカい。普通の人になれるかもしれんという感情がかなり高まりました。

時期不明 東京で良い精神科の先生と巡り会えた

最初自宅の近くのヤブ医者に当たってしまって合わなくて辛かったのですが、大学の保健センターで良い精神科の先生にかかることができました。先生と別れ地元に戻る時に、「あなたは自分のことをよく理解して分析できているから、いつかそれがあってよかったと思える日が来るよ」という言葉をいただいて、その言葉はずっと大切な祈りとして持ち続けています。

時期不明 先輩と遊んだ

昔からお世話になっている先輩とは会うたびに元気をもらっていて、特に2017年?くらいにもう死ぬか!みたいな気持ちの時に新幹線に乗って先輩のところで遊んで帰りに元気でね、と言われた時が最高に転機でした。
その後帰りの新幹線で俺は生きる、生きていくぞ!!!という気持ちだけが頭の中にあって、帰ってから溜まった茶碗を洗ったのを思い出します。その後その元気の余波で精神科に行き、休学を決めて、ヘロヘロになりながら様々な助けを借りて命からがら地元に帰ることができました。

あの日一緒に遊ぶことがなければこの世にすでにいなかった可能性がとても高い。
きっと先輩にとってはなんでもない日のひとつなのだろうけど、僕にとっては一生を照らし続けて余りある光で、この先もずっとあの日抱いた生きていくための感情で僕の人生が照らされていくのだろうと思います。

その他

アニメに救われました。Re:Zeroとか、レヴュースタァライトとか、まちカドまぞくとか、化物語とか、ぼっち・ざ・ろっく!とか… 現実から目をそらすことができて、視聴を終えて現実に帰ってきた時にちょっぴり勇気を持って現実を変える方向に踏み出すことができる、そういう立ち位置でかなり助けられました。

お世話になった人に返せないくらいの恩があります。様々な人にお世話になりました。インターネットにも、インターネットではないところにも、いっぱいお世話になりました。僕も誰かにとって役立つ存在でありたいし、お世話になった人には恩を返していきたいと思います。人と対面で会うイベントを増やしたい!

結局僕がこの8年間で手にしたものは、前述の生きるための覚悟、現実を破壊する覚悟と、「何度崩れてもまた一から積んでいけば良い」という信念でした。毎日絶望、昨日より今日の僕は史上最低値を更新!という日々の中で生き続ける覚悟はなく、それでも生きてこれたのは運と、助けと、僕が昨日より今日できないことが100増えてもいいから、昨日より今日できることを1つ増やそうという祈りと努力を重ねてきたからだと思います。
この気持ちは忘れずに、覚えておこうと思います。