数学とその周辺に対する劣等感とそれでも学習を続けたい気持ち

これは自分の中にある劣等感を外向きの文章にすることで整理しようとしたものです。

これまでの数学との付き合い

中学 1 年生までは普通に宿題をするくらいで、数学は国語より苦手な科目でした。当時数学のクラスは上・中・下と 3 つあって、僕は下にいました。

中学 2 年生で金曜ロードショーでサマーウォーズを見ました。ここで「もしかして…数学ができると主人公みたいに世界を救えていい感じになれる!?」と勘違いをしてパソコンで「サマーウォーズ 暗号」とかで検索して出てきた「RSA 暗号」というやつを調べて、大学の pdf を読んで記号が全く分からなくてそこで調べ物が止まりました。

中学 3 年生の夏に、このままでは変わることができないと思い書店で Z 会が出している高校の数 IA の問題集を買って解き始めました。すごい勢いで四六時中数学をしている僕を見て父が Z 会の問題集の数 IIB と数 IIIC を買ってくれたので、夏休みのうちにその三冊を終えました。その翌年に数学オリンピックの予選と広中杯の予選に出て、どちらも全く解くことができず(特に広中杯はマジで白紙で出した)予選落ちでした。

高校 1 年生は県の数学コンクールなどに出て賞をもらえるくらいになっていました。でも一番ではなく、大体県の数学好きの同級生の中で 5 位くらいだろうという感覚です。大学への数学をやっていました。
 数学オリンピックは予選落ちでした。僕は全ての青春を捧げて数学に消費していたつもりだったので、とても悔しくて家に帰ってから数時間泣きました。

高校 2 年生は調子が悪くそれほど真面目に数学をしていませんでした。しかし、県の数学コンクールでは 1 位を取ったり、大学への数学の問題も結構解けたりしていました。
 数学オリンピックは予選通過をしました。本選までずっと対策をし続けて、熱を出したりしました。熱を出しても布団の中で幾何を複素数平面で解く練習をしていました。本選は 2 人しかいなかったのでリラックスして集中することができ、幾何で謎に閃きが降ってきて本選を通過しました。
 ここで春合宿でかなり挫折を味わいましたが、その話はまた別の機会にしようと思います。簡潔に言うと、僕は数学を始めるのが異常に遅く、さらに情報を集めるのが下手で、AoPS をゴリゴリやっておけばよかったなと感じました。

高校 3 年生は友人に数学を教えていました。東大に合格しました。

それからは数学にあまり触れていません。精神的に厳しくなって東大を辞めて地元に帰るまでの経緯は 都落ちしてからだいたい 3 年半たった に書きました。

プログラミングをはじめた

2018 年頃からプログラミングを始めました。僕はいきなり「時代はディープでポンや!」と思って kaggle に突撃して if/for 文も知らない状態だったので撃沈し、AtCoder を始めました。楽しいな〜と思って学んでいましたが、水色タッチしたあたりでやる気がなくなって離れてしまいました。
 周りを見ていると、「数学ができる人は競技プログラミングが強い」と言う雰囲気があります。これは正しいと思います。しかしこれまで述べたように数学が好きで青春を捨べて投げ打ち、その先の春合宿で挫折を味わってしまった僕にとってはとても怖い言葉でもありました。「競技プログラミングが弱いと言うことは…?数学も弱い…?」みたいな感じに受け取ってしまっていたんですね。競技向きの性格ではないこともあって、毎週のコンテストの結果が、僕に対して、ほらやっぱり数学できないんじゃんと言われているように感じてしまって諦めてしまいました。

そうして僕は CTF や ICTSC や ISUCON などの競技にも参加してみたり、個人開発をしてみたり、コンパイラやセキュリティや低レイヤといった自分の興味で面白い!と思ったものに手を出していき、かなり広範囲に渡ってサンプルを動かして知識を持っているが、何か突出したものはない、という典型的な広く浅いタイプになりました。

もちろん良い面が大きくて、例えば AtCoder から入ったことは確実に僕の学習速度を一番早めてくれた要因ですし、元々広く浅いタイプとしてチームでの動きで最高パフォーマンスが出せると思っているのでそういうロールで働きたいです。ただ今回は劣等感と向き合う話なので、ここでは陽の面は触れません。

他にも、高校時代の友人が数学科に進んで久々に会った時に彼の話すことが数ミリしか分からなかったことも大きく僕の劣等感に関係しています。ウサギとカメの童話のウサギが僕だなあ、と当時は思いました。

劣等感を直視する

これまでから、劣等感の正体としては以下のようになると思っています。

  • 数オリに全部注ぎ込んだがそれが全く足りないという事実が僕を打ちのめして、もう絶対に届かないと思ってしまった。
  • 数学を学問として楽しめない、順位を気にしてしまう。
  • 「自分は何かが得意であってほしい」というアイデンティティの喪失に対する恐怖。

あまり劣等感とは向き合いたくないので、劣等感を詳しくみていくと色々矛盾しています。たいてい紐を解くと大したことない悩みは、矛盾を内包することで八方塞がりの難しい悩みに変化したりするものです。例えば、僕はもう絶対に届かないと思いながらも、努力している数学科の友人に対しては素直にすごいと感じて継続していればどんなところにでも行けるよなあ、と感じていたり、色々矛盾しています。

一つめに対しては、もう競技数学に以前ほど時間をかけて得られる嬉しさがないので、もう復讐心みたいなモチベーションになりそうでそれほど嬉しくなさそうです。趣味的にやっても心が壊れないようにする道を探るのが良さそうで、実力を積み上げることが即効性を持つかというと怪しい。

二つめは致命的です。僕の中で「何かを理解している人は、テストもできる」という価値観が強固になりすぎている気がします。最近論文を読んでいたり、技術記事を読んで思うことは、時代に応じて間違っていたことが明らかになったりすることは普通にあるので、その時のベストな努力ができていればそれ以上の間違いには寛容になるべきだと言うことです。つまり、やる気なく AtCoder に出てしまって順位を眺めてうだうだするよりかは、全力を発揮することに重きを置いた方がいいとか、調整する過程に価値を見出した方が僕の場合大事なんじゃないかということです。

三つめはアイデンティティの問題なので、もうこればっかりは自分が何者でもないことを真に認めることでしか抜け出せません。でもこれは最近結構できるようになってきていて、できるようになってきたからこそこういう記事を書いています。

ここからどうしたくて生きているのか

初めはサマーウォーズを見た影響とはいえ、今はもうサマーウォーズは関係なくて、僕のモチベーションの源はそこから飛び立って数学自体の面白さ、いつでもできる手軽さからきていそうです。なので、もっとシンプルに問題自体に向き合うとか、学問自体に向き合えるようになりたいと感じています。競技に対しては、自分のパフォーマンスをその時の状況を踏まえてできるだけ最大値に持ってきて競技にぶつけることを繰り返したいと感じています。
 結局そのものを楽しみたい、何が得意とか何が好きだから出来なきゃいけないみたいなしがらみの先に対象と自分だけがいる世界に行きたいということです。

まとめ

書いてみたら結構すっきりしたので外向けの文章というのは大事ですね。人間は幼い頃に習得した型の通りに生きて、周辺と自分の変化に応じてその型を破壊して作り直して適応することを繰り返していくものなのかもしれないなあ、と感じます。